路地裏散歩

特撮とかアニメとか感想と犬。

『鬼』と『仮面ライダー』

仮面ライダー響鬼』という番組における「鬼」というのは「仮面ライダー」なのか?という話。
これも一つの類型でしかないのだけれども、思ったことをつらつらと。

■「人の世界」「人外の世界」
初代仮面ライダーを見ると、世界は大まかに二つの世界に分かれます。「人間」の世界と「ショッカー」の世界とですね。本郷猛(人間)はショッカーの世界を経由し、その力を得て人間の世界に戻ってくることで、「仮面ライダー(改造人間)」となり、人間の世界の側についています。


響鬼世界の場合は人間が修行によって鬼になるので、人間と鬼は地続きで、この「人間の世界」は「人間と『鬼』の世界」と言えるかと。対するのは、人間(鬼)が踏み込んではならない領域ということで、とりあえず「人外の世界」とでもしておきます。
ここでいう「人外の世界」とは、人や鬼が「踏み込んではならない」とされる世界です。ショッカーの力も人間の世界と地続きでありながら、行き過ぎたが故に相反するものとなったのと通じますね。
これは「生の世界(人間と鬼の世界)」と「死の世界(禁じられた世界/ショッカーの世界)」と言い換えることも可能かもしれません。


このように世界を定義してみると、ザンキは、「人間と『鬼』の世界」から「人外の世界」を通ってその力を得(禁呪で甦り)、また「人間と『鬼』の世界」に戻ってきて、人間(というか鬼…更に言うとトドロキ)の側についていると言えるかと思います。


力を手に入れる=人外の世界へ足を踏み入れる=相反するもののテクノロジー(呪術も含む)を取り込むこととするなら、本郷猛とザンキさんがたどった道は相似形を描いているとも取れるわけで、その意味でザンキは『仮面ライダー』だったのかなぁと。


■親殺しの物語
『散華する斬鬼』で散ってしまったザンキは枯葉となって消えました。『響鬼』においては、「枯葉と散る」=「魔化魍が清められた」であることから逆算すると、、ザンキは禁呪を使うことで魔のものに近づいていたのだろうと思います。それをトドロキが清め、彼岸へと送り出した。
父性不在の物語」でも書いたのですが、師と弟子っていうのは擬似的な親子関係にあるってのが持論でして、そうするとザンキを清めたトドロキは、結果的には親殺しの罪を背負うことになってるわけです。


もともと、仮面ライダーってのは『自分を生み出したテクノロジーを倒す』という意味で親殺しの側面を持ってるんですけど、これは自分を鬼としてくれたザンキを殺すという意味でトドロキにそのまま重なるんですね。
その意味で、トドロキはザンキとは別の側面で『仮面ライダー』だったんですね。


弦師弟ばっかり言及してますが、おそらく後から『仮面ライダー』を意味付けされたのはこの二人だろうと思うので、どうしても集中しちゃうんですね。


いやまあ、弦師弟好きなんで、つい考えちゃうって言うのはありますけど。(笑)